天野山金剛寺 平成大修理

天野山金剛寺 平成大修理

平成大修理概要

天野山金剛寺は、奈良時代に聖武天皇(しょうむてんのう)の勅願(ちょくがん)により、当時の高僧である行基によって開かれたと伝わっています。 また、平安時代には、弘法大師(空海上人)の修行の聖地として知られています。その後、衰退をしますが、平安時代の終わりに阿観(あかん)上人が後白河上皇とその妹の八条女院(はちじょうにょいん)の庇護を受けて金堂(本堂)多宝塔(たほうとう)、御影堂(みえどう)などの伽藍(がらん)を再興してゆきました。その結果。金剛寺は八条女院の祈願所となり、また、侍女が阿観上人の弟子となり、二代続けて院主(いんじゅ=住職)となったことから、「女人高野(にょにんこうや)」と呼ばれるようになりました。(以下、ページ下部へつづく)

修復作業の様子

(ページ上部より)その後、鎌倉時代の終わりには後醍醐天皇(ごだいごてんのう)との関係ができ、南北朝時代には、南朝方の拠点となり後村上天皇(ごむらかみてんのう)が正平9(1354)年から6年間、子院(しいん)の「摩尼院(まにいん)」「食堂(じきどう)」を行宮(あんぐう)として政務を執られました。また、その間、 北朝三上皇が、一時子院「観蔵院(かんぞういん)」に幽閉された時期がありました。 南北朝が終わり、寺領から生み出される米や木材、炭、特に「天野酒(あまのさけ)」は商品として寺の経済を潤し、子院は80以上を数え、さらに、織田信長や豊臣秀吉の庇護を受け幕末まで307石寺領を所有しました。 このような歴史から、金剛寺には、国宝3件、重要文化財40件をはじめ数多くの美術工芸品や歴史的建造物が伝えられています。特に伽藍には金堂、多宝塔、御影堂、鐘楼(しょうろう)、食堂、楼門(ろうもん)などの重要文化財や、五仏堂(ごぶつどう)、薬師堂(やくしどう)、開山堂(かいさんどう)などの大阪府指定文化財で構成されています。これらの建物は、慶長11(1106)年に豊臣秀吉によって修理され、また、元禄13(1700)年に徳川吉宗の命により岸和田藩主が奉行となって修理を行っています。 この元禄時代の修理から300年間、大規模な修理は行われていません。その為。永年の風雨に耐えた建物は沈下や歪みが生じ、この度、解体修理をする事になりました。

また、金堂に安置されていますご本尊の大日如来坐像、脇侍の降三世明王坐像(ごうざんぜみょうおうざぞう)不動明王坐像、(すべて重要文化財)の三躯(さんたい)の仏像も修理する運びとなりました。

いずれの修理も文化庁並びに河内長野市の補助を受けまして平成21年度より約9年間、総額約16億5千万円の時間と費用が必要になります。 修理の費用はまだ膨らむかもしれませんが最低でも金剛寺の負担額は、5億5千万円が必要となります。このような大事業は金剛寺一ヶ寺の力ではなんともなりません。この修理が無事完成できますよう。皆様方からのご支援をよろしくお願い申し上げます。

天野山金剛寺 座主 堀 智範